独りヴォランティア(16)

 4/4(月)夕方宿舎の南の丘に登ってみる。ここは、それほど見晴らしは良くなかった。遠くの山の上の町と三種の野の花をスケッチした。こんな小さな一輪の野の花でも良く見ると目を見張るほど美しい。「明日は炉に投げ入れられ」、また除草剤をぷっかけられ、耕運機で根こそぎひっくり返されてしまう花々でさえ、「こんなに美しく装ってくださる」創造主なる神。

 この造形美の極みである花々は神の指の成せるところである。まして主の恵みに依り頼んで生きることを願う私たちをなおさら美しく、御霊の実で装って下さらぬ事があろうかと納得させられる。この主と共にあることを何よりも喜び、隣人の徳を高めることを心掛けて生きようと願う。

 4/5(火)昨夜から生暖かい風が宿舎に打ちつけキャビンを震わせているので熱睡ができない。早朝作業場に行くとき、ヨナハンがこの風は東から、つまりヨルダンの砂漠からの乾いた風であることを教えてくれた。一夜にして野の花を枯らしてしまうというあの風だ(創世記 41:6、ヨナ 4:8)。未だ4月上旬なので熱風とまではゆかないが生暖かい風だ。

 夏がもう直ぐそこまで来ているということ。この緑ときれいな花々は早々に野山から消えてしまうのであろう。今日の作業は日差しの下では熱かった。作業を終えてポストオフィスを覗いてみると家族からの手紙が届いていた。消印を見ると3月22日西宮局受付とある。航空便なのに16日も要っている。やはりイスラエルは日本からは遠い国なのだ。何んといっても家族からの便りが一番嬉しい。読んでいる間は遠く離れて住んでいるという感じがしない。