再びキブツ生活(9)

 7/18(月)朝食後エロンとハビーバー老夫妻宅の除草作業である。今日は玄関までの通路脇に生い繁った雑草を根から引き抜くことにした。

 エロンはその時85歳、バルト三国のエストニアからのアリアー(帰還者)だ。彼が私に話して聞かせたところによると、1934 年に彼が現在地に入植した時はひどい荒地で、石ころと蛇とさそりだけの地であったという。体よりも大きな石を朝から晩まで働いて取り除いて畑作りをし、夜はテントで疲れ果てて寝る。

 アラブ人の襲撃からキブツを守るために徹夜の警戒を毎晩交代でする。そういう苦難を通して今のマアニットが築かれて来た。エロン自身は植樹の担当であった。その当時は井戸も水道も無かったので雨期に天から降ってくる雨だけを頼りに雨期の期間だけ木を植えたそうだ。現在のキブツは木々の林に囲まれ、まるでエデンの園のようになっているが、当初は一本の木も生えていなかったという。

 彼は私に自分の手と足を見せた。両膝、両肘、手の指の関節の全てが団子のように醜く大きく膨らんでしまっている。体の全ての部分が傷んでしまっているという。このキブツの先輩達は皆、体がこんなにボロボロになるまで働いてきたのだ。現在の環境は与えられたものではなく勝ち取って得たものなのだ。(土地は正当にアラブ人地主から買い取ったものである。)しかし、今のキブツの若者たちはエロンたちの労苦を全く理解していないのだという。

再びキブツ生活(8)

 7/14(木)今日も墓地の除草作業。続々と陶器の小片が出土してくるので拾う。くすんではいるが彩色されている物や取っ手の一部とみられるものも混じっている。

 この日南アフリカの景勝地ケープタウンから来ていた姉妹が帰国して行った。妹(18才)は4ヶ月、姉(22才)は2ヶ月間の滞在であった。この二人は非喫煙者だったが、このキブツに来て、女性の喫煙者が多いのに驚かされる。

 ヴォランティアの女性の半数近くが喫煙し、キブツ住民の女性にも喫煙者が多い。それに比べると男性の喫煙者は数えるほどしか見当たらない。それは食堂での食後の情景を見るとよくわかる。又、ヴォランティア女性の多くが手や足にタトウ(入れ墨)としているのにも驚かされた。

 男性にもいたが欧米人にとってはタトウは単なるアクセサリーの一種なのだろう。それに性的タブーも殆んど無いようで、その経験を求めてヴォランティアに来ているように見えた。これらはキブツの青年たちも同様のようで、長老格の方々が嘆いておられた。

 イスラエルの兵役は男女共にあるために兵役中に妊娠する女性が極めて多く、その中絶費用は全額国が負担する制度ができている。年間万単位の胎児が暗に葬られているのが現在のイスラエルだ。

 ユダヤ教のラビたちは胎児を人間とは認めないので中絶は宗教的に合法と認めている。神の法よりも人間の欲望や都合が大手を振っている社会は世界中を覆っており、このイスラエルも例外ではない。

再びキブツ生活(7)

 7/12(火)、キブツの墓地の除草作業。キブツの墓地は居住地域の南西にある小さな丘の上にあり、この丘も遺蹟の丘(テル)らしい。雑草を根ごと引き抜くとローマ時代の物と思われる模様入りの土器(つぼ)の破片が一緒に出てくるのだ。それらを拾い集めて持ち帰ることにした。

 墓石を見て回り墓石名を見ると、アブラハム、イツハク(イサク)、ヤアコブ(ヤコブ)など旧約聖書中の人物と同名のものもちらほらあり(当然のことだが)、へブライ語のその文字を見ると思わず立ち止まってじっと見てしまう。

 7/13(水)今日はキブツの庭担当前任者(名前は聞かなかったが 65年前ルーマニアから帰還した人)の家の庭の除草を頼まれた。そこはジャングルのように草木が蔓延ってしまっていた。その大半はブラウンベリーの棘だらけの木で、それをすべて刈り取った。

 ここの庭には、びわ、グレープフルーツ、ペカーンナッツの木などの他にさまざまな花が植えられていて、この時はダリヤが美しく咲いていた。

 キブツでは度々停電が発生したが、今日も午後から夕方 6時半になっても停電のままなので夕食は中央食堂で食べることにした。パン2切れといちごジャムとレタスだけであった。7時40分になって電気が回復したが9時頃まで何度も停電した。

再びキブツ生活(6)

 拳式後には祝宴があり、その最後に再び七つの祝福が唱えられる。安息日や祝日の挙式は禁じられている。喜びを混ぜてはならないからである(旧約聖書では混ぜることは汚れること、分離することは聖別することとされる)。

 また新月(大陰暦の月初め)とオーメルの期間(過越祭から七週祭〈シャブオット・ペンテコステ〉までの期間)、又は畏れの日々にも挙式はしない。結婚年齢は男子は13歳以上、女性は12歳以上であれば「大人」とみなされ、結婚は有効とされる。旧約聖書では多妻は禁止されてはいないが、11世紀初頭に発布された「禁止令」以降は殆んどのユダヤ社会では多妻は見られないという。以上が前掲書の要約である。

 この夜の結婚式の模様を一部始終、強いライトの下で2台のビデオカメラで収録していた。それもビデオ編集機まで持ち込んでの本格的なもので、ショー的要素満点だ。祝宴は夜を徹して行われ、歌や様々なアトラクションが登場するのだが、私には翌朝の作業が控えているので祝宴が始まるとすぐに部屋へ戻って休んだ。

 7/8(金)、日没後、キブツ内のべイト・ハビーバーでモロッコから帰還したユダヤ人たちの演奏とダンスの公演があった。私は所用があって最後の 5分少々しか見ることが出来なかった。5人の男性が踊り、管楽器と太鼓を演奏していた。

再びキブツ生活(5)

 フッパの下に来た二人にラビは杯のワインを祝福して二人に飲ませると、花婿は花嫁の右手の人差指に指輪をはめながら「見よ、モーセとイスラエルの律法に従い、この指輪によってあなたは私のために聖別された」と唱える。ラビはクトゥパ(誓約書)を読み、花婿はクトゥパを花嫁に手渡して婚約式(エルシン)は終わる。

 式の後半は「ニスイン」(結婚)と言う。昔は婚約と結婚の間には一定の期間があった。マタイ福音書 1:18、ルカ福音書 1:27のマリヤとヨセフはこの婚約期間中であり、同居は許されなかったが公的には夫婦と認められていたのである。だから当然「シドゥヒン」(結婚式)と「ニスイン」とは別々に行われていたが、今日では一連の儀式として一つになっている。

 ラビは二杯目のワインの杯を祝福し「婚姻の七つの祝福」という頌栄を唱える。その詩は「我らの神、宇宙の王なる主よ、ぶどうの実の創造主であるあなたは誉むべきかな」で始まり、「花婿を花嫁をもって喜ばせるあなたは誉むべきかな」で終わる。最後に花婿がガラスのコップを踏み砕くという見せ場がある。結婚の喜びの時においても、神殿の崩壊以来、ユダヤ人の味わってきた悲しみを忘れないためにと説明されているが結婚の脆弱性や今なお購いを必要とする世界を象徴するものとも言われる。

再びキブツ生活(4)

 ユダヤ人の結婚式は 15世紀以降は習慣的にラビが司るようになり、現在に至っている。そして二人の結婚が公になるために公的祈り「ミシヤン」に必要な最小限 10人の成人男子の臨席が一般的に受け入れられており、今回のキブツでの挙式もそれは充分に満たされている。当人二人だけとか少数の身内や友人だけの挙式はユダヤ人の間では、有効と見做されていないようだ。

 式そのものは二部に分かれていて、前半は婚約の儀式で「エルシン」又は「キドゥシン」と呼ばれる。「エルシン」は申命記 20:7にある「エラス」(婚約する)からきている。「キドゥシン」は「ヘクデシュ」(奉献する)からきており神殿に捧げられた物は他の用途に用いることができないように、花嫁は夫以外の男性には禁じられた存在となったことを示唆するものである。

 この婚約式で「クトッパ」(婚約誓約書)の作成をする。この誓約の中で花婿は、もし離婚することになった時に女性に支払う金額をこの誓約書に書き込むことになっている。誓約書に二人が署名すると、花婿は花嫁の所へ案内されて花嫁の顔のヴェールを下ろす。

 花嫁が聖別されて未来の夫ものとなったことを示すためである。この後花婿は彼の父と花嫁の父に伴われ「フッパ」という天蓋の下へ移動する。続いて花嫁も両方の母に伴われてフッパの中に入る。

 フッパは一辺が1.5m前後の四角い布で、その四隅を棒の柱で支える。それを四人の男性が柱を持って支えるのだ。これは二人の新家庭の象徴である。その貧相な造りが家庭の平和の脆さを象徴するのだ。

再びキブツ生活(3)

 7/14(月)午前中は庭の除草作業。日差しは厳しく、昼前にもなると作業着を突き抜けて熱が背中をジンジンと焼き付けてくる。しゃがんでの作業なのでそれほど重労働ではない。西(海)側からの風が心地良い。

 昨日、妻がキブツに来る日程(8/11-24)が判明したのでキブツ側(アロン)に伝えた。昼にミニマーケットで土産用のオリーブオイルを三本購入し箱詰めにした。

 7月6日(水)庭の花の植え替え作業、乾燥で固くなった石だらけの土地を掘り起こす作業は大変であった。午後、荷物を船便で一箱発送した。重さ16Kgで送料 5700円(155シェケル)もする。日本に着くのに2ヶ月かかる(9月上旬)という。

 7月7日(木)ようやく食堂前の花壇をきれいに出来た。エストニアからの帰還者エロンとハビーバー夫妻が通りかかって「日本に帰ったら、あなたはプロの庭師になれるよ」と声をかけてくれた。そして今夕、このキブツで結婚式があることを教えてくれた。そういえば昨夜から食堂横の庭の芝の上にテーブルを並べたりライトを設置して準備をしている。

 今日、島崎藤村の『破戒』を読み終えた。以前ここで働いていた日本人が事務所の本棚に残していった文庫本である。

再びキブツ生活(2)

 6/27(月)午前中はシクラメン畑で球根の収穫作業だ。専用の特殊トラクターで球根を掘り起こし車上まで引き上げてから布袋に穫り入れる。同時にローマ時代の土器の破片も出土するので、それは自分の作業服のポケットに入れて、土産物として持ち帰る。

 午後、日本の家族に電話をした。先の手紙で妻が、8月に家族と教会員でキブツを訪れると書いてきたためだ。諸事情により子供達は連れて来ない方が良いと伝えた。

 6/29(水)庭の除草作業、体調が今一つ優れないので、この日の作業は午前中に終わらせてもらった。毎日へブライ語文法の学びを続けているが「ヒーレク」という言葉に出合った。「部分、分け前」という意味である。

 私はすぐにこれは使徒パウロが彼の手紙でしばしば用いている「分、部分」(ギリシャ語のメロス)と同じ意味ではないかと思った。キリストの体である教会、私たちはそれぞれが分担してその働きを担っている。神はそれぞれに一部分を分け与えてキリストの体なる一つの教会を形成させておられる、と教えている。(ローマ 12:3-8、コリントI 12:12-28、エフェソ 4:16)。

 一人では体は完全な形ではない。一地方教会だけでもキリストの体は完全ではない。それぞれが互いを必要としているという正しい自覚と謙虚さが不可欠なのだ(ローマ 12:3、ヨハネ 17:22,23)。

再びキブツ生活(1)

 6/24(金)、5:57起床キブツでの日常生活に戻ったが、旅の疲れのためか朝起きるのが辛い。今朝も作業開始直前の目覚めだ。ベッドから飛び起きて隣室のヒレルを起こし、作業に向かつた。今日は日没から安息日なので仕事は午前中で終わる。

 バナナ畑で切り倒した株の芯抜きとトレーラーのペンキ塗りをした。朝、バナナ畑に隣接する畑に数人のアラブ人が働きに来ていて、耕された畑から石を除く作業をしていた。

 ヨハナンの話によると、彼らに支払う日当は数人一纏めで頭領(ブローカー)に渡すのだそうだ。全員分1日で60シェケル(2200円)で、一人一人にいくら渡っているのか知らないという。

 パレスチナ地域では10シェケル(370円)というから、キブツで働くと6倍の俸給になり、喜んで働きに来てくれるそうだ。しかしユダヤ人を雇えば、この何倍もの日当になるのだという。

 キブツでの労働ボランティアには生活用品一式付きで一ヶ月お小遣いとして100 シェケル(3700円)が支給され、キブツ内の店でのみ使用できるクーポン券 10シェケル分がもらえる。これで結構充分暮らしてゆけるのだ。

 今日は午後 3時からキブツデイということで近くのキブツシェフィイムに行くことになった。住民とボランティアの有志が大型バスに乗っていく。大プールが二槽、大すべり台が7~8基、波を起こすシステムもあり、本格的な施設がある。

 安息日は入場料38 シェケル(1400円)、平日22 シェケル(800円)もするが今日は無料開放日(キブツ構成員のみ)なのだ。