谷底のダブラ川での遊泳を終えると、車に戻るために急な崖の岩場を 100m以上登った。酷暑の中を息を切らせ喘ぎながら「ヨハナンと来るといつもこうだ」と半ば観念しながら歩かされた。旧約時代のマナセ族の女性たちはこんな谷底まで水を汲みに下りて来たのだろうか。
そこから車で更に北東へと高原を上がるのだが、車中は窓を開けても気分が悪くなるほど暑い。窓から入ってくる風が熱風なのだ。7月下旬のゴラン高原の暑さがどれほどのものかを体験できたのは或る意味で貴重な体験であったが、この時はただ苦しいだけであった。
車はシリヤとの停戦ラインの非武装地帯の金網の柵の前まで来て停車し、私達は下車した。そして東側の非武装地帯とその中にある国連軍の建物(日本の自衛隊も駐屯している)や、その向う側のシリヤの緑の山の風景、そして無人の町となったクネイトラを暫く眺めていた。
すぐ北の緑の小高い山の上には高い電波塔が建っており、その彼方には薄っすらと茶色にくすんだ真夏のヘルモン山を見ることができた。この辺りは古代からダマスコに至る街道であるので、使徒パウロがダマスコのキリスト教徒を捕らえるために 2000年前に歩いたのは、この辺だと思い(ここから東北へ少し進んだ所で復活のイエスに出会ったのだ)感慨深くその方向を見入っていた(使徒9:1-8)。