1970年代、全世界にオイルショックが走り抜けた。日本でもトイレットペーパーや砂糖などが店頭から姿を消したり、大騒ぎになったことがあった。
サウジアラビアをはじめとするアラブ湾岸諸国がイスラエルと友好関係を結んでいる国には原油を売らないと世界に宣告したからである。当時の日本政府はその圧力に屈し、総理大臣らが中東に行き、何とか原油獲得に努めた。
このようなアラブ諸国の不当な圧力に対して敢然(かんぜん)と立ち向かったごく少数の国があった。オランダや南アフリカなどである。それ以来南アフリカ共和国とイスラエルとの友好関係は更に深まったのだという。
南アフリカから当時来ていた若者ヴォランティアは全て白人であった。私の滞在中にマンデラ氏が指導者に選ばれてそのことを報じるイスラエルの新聞記事の切り抜きが共同食堂の掲示板に貼られた。キブツ住民の多くは歓迎していたが、私は南アフリカの女性ヴォランティアにそのことを尋ねると、一言「私たちはマンデラは嫌いだ」と言った。
又、南アフリカの学校では白人が先住民だと教えているとも 、言っていた。学校教育が歪められているのだ、支配者たちが自分に都合がよい情報だけを国民に与えているのだという事をここでも知らされた。