キブツへの道(23)終

 イスラエル政府発行の旅行者ガイドブックによると、タクシー料金は、通常の料金メーターによるものと、都市間料金が公定で決められていることが書かれている。空港からキブツまでの約50kmの料金がいくらであったかは、私は知らない。

 道路は舗装されているが歩行者用エリヤなどはなく、40年ほど昔の日本の道を走っているような感覚である。道路の両側には、時折、オレンジやグレープフルーツ畑なども見られ、緑が多くまさにシャロンの野を走っているといった風情である。

 のちに知ることになるのだが、このシャロン平野は 100年前(19世紀)には数km歩いても人っ子ひとりいない荒廃した地であったなど想像することも出来ない美しい地になっている。ユダヤ人入植者の開拓の苦労話は、のちにキブツ住民や地誌などで知らされることになる。

 マーク・トゥエンや徳富蘆花の聖地紀行(巡礼)文などには、その当時の荒廃した聖地を目の当たりにして嘆息している記事が残されているという。

 タクシーで50分ほど走ってゆくと、前方左手に巨大な煙突が3本並んで立っているのが見えてくる。すると車内がどよめき、「あの煙突がキブツに近づいた目印だ」という。ハデラの町の地中海岸沿いにある工場の煙突である。

 このハデラから右折し東へ10km行くと目的地であるキブツ・マアニットがある。