独りヴォランティア(10)

 過越の祭りで食される種なしパンは、現在では統一されているらしく市販品である。小麦粉100%(一切の添加物なし)のクラッカーで 15cm角の大きさである。これはマッツァと言われるもので、今年は入手できたので 4月の聖餐式でいつもの食パンの代わりに、これを使用した。何の味付けもしていないので小麦粉の香りだけのもので、上顎にくっ付いたり喉に引っ掛かって飲み込み難いものだ。

 過越の食事の際に主イエスが弟子達に分け与えたパンとワインには共通点があるのに気付かされた。それらは共に砕かれて混ざり合ったものだと言う事である。一粒一粒の小麦が砕かれ混ぜ合わされた粉がパンの原料となり、それがキリストの体(教会)となるのだ(マタイ 26:26)。ワインの元になるブドウ汁も、一粒一粒のブドウの果実が踏み潰されて、汁となって混ざり合い発酵してワインになるのだ。

 ありのままの姿が砕かれて混ざり合わされ、愛によって互いに一つとされ赦し合い赦され合って神の国は形造られてゆく(エフェソ 4:15、16)ということを明示しているのではないか。聖書の示す愛は他者と自分との区別を排するものである(マタイ 22:39)。

 後で知ったのだが過越の食事にはヴォランティアの席はなく、私はヘレナー家の一員として特別に参加させて頂いたということ。(他のヴォランティアは見学するだけであった)。