ナブルスの町の中央広場に到着した。パレスチナ最大の人口を擁する町だけあって、この町の中央広場はベツレヘムのメンジャー(飼葉桶)広場よりもかなり広く見える。
周囲を見回しても高層住宅・建築と言われるものはなく、地面も舗装はされておらず、どこかのどかな地方の町の風景で、イスラエルと争う急先鉢のテロリストが潜伏しているようには表面的には見えない。
私は車から下車するとすぐさま周囲の山々を見渡した。この町がエバル山(標高940m、呪いの山、申命記 11:29,27:4,13 ヨシュア 8:33。ここではヨシュアが築かせたと考えられる自然石で建造された祭壇が近年発掘された。(ヨシュア8:30,31)とゲジリム山(標高881m、祝福の山、申命記 11:29他、士師9:7、キリストとサマリヤの女性との会話ヨハネ 4:20,21)の間に挟まれた谷にある町であることを知っていたからである。しかしその方向までは知らなかったので、どちらがゲリジム山なのか、その時には判らなかった(ゲリジム山は南側)。
私たちは暫くこの町を散策することとし運転手の青年と集合時間を決めて歩き始めた。広場には多くの店が屋台を広げていた。最初の果物店の長身の壮年の店主は私たちを見て、日本人だと知ると笑顔で両手を差し出し、握手で歓迎の意を表してくれた。
他の店々も同様に笑顔で接してくれた。30分ほどして車に戻り青年に「ヤコブの井戸」(ヨハネ4:5,12、創世記33:18-20)と「ヨセフの墓」(ヨシュア 24:32)を見たいと告げると、彼は車を走らせた。しかし彼はその場所を全く知らなかったのだ。