8/17(水)この日はキブツに働きに来ているアラブ人の男性に車でサマリヤ地方を案内してもらうことになっており、期待に胸を膨らませつつ目を覚ました。
キブツのカープールで待ち合わせ時間は 7時半。しかし待っても待っても車は来ない。8時半になって来た車は約束した本人ではなく、その息子の青年であった。
彼は時間に遅れたことを謝ることもなく「どこへ」と尋ねたので私は「ナブルス(シェケム)へ」と伝えた。彼の車のナンバープレートはパレスチナ人のものであるのでヨルダン西岸のどの町へ行っても一応安心できる。
ヘブライ語会話を教えて下さったドフ氏に私たちが近々ナブルスに行くことを伝えると「最も危ない町だから、決して行かないように」と忠告してくれたが、隣にいた別の住民は「あなた達は日本人だから何の問題もないと思うよ」と言ってくれた。
ユダヤ人にとっては現在のナブルスの町はこの上もなく危険な町となっている。ここはかって北イスラエルの中心地であり(列王上 12:1)、先祖アブラハムやヤコブらの縁の地でもあった(創世記12:6,33:18)。
私たちはキブツから 574号線を南へ 20kmにあるパレスチナ人の町トルカルムに入り、そこから東へ57号、60号線で(30kmの)シェケムへと向った。途中からサマリヤの山々へ上り坂をカーブしながら走ってゆく。
真夏の乾期にも拘わらず所々に緑の草木が繁っている。泉から流れ出る水があるのだろう。ヤコブの息子たちが夏に羊の群れをへブロンから100kmも離れたシェケムや更にその北 50kmのドタンまで導いたのも、この牧草を与えるためであった(創世記37:12-17)。