ツアーの人々との団体生活(81)

 3月12日(土)安息日、休日である。昨夜から未明にかけて珍しく、日本の梅雨のような雨が降り続き、朝6時頃にはかなり強い雨になった。今まではにわか雨(通り雨)のようでザーッと降るとすぐにやんで日がさす、というような降り方であった。しかし7時になると快晴になっていた。7時半になるとツアーの女性たちが朝食の準備をして下さる。

 キブツでは安息日の朝食は出ない。安息日は火を使えないので調理しない食品を食べる。この日の朝食はピタパン、マッツァ(種無しパン、クラッカーの特大サイズ)、昨日にゆでた卵、きゅうり、トマト、チーズ、ミルク、コーヒーなどであった。

 この日は朝10時にキブツマアニットの資料館を訪ね、ドフ氏(ヘブライ語講師とは別の方)から、このキブツの歴史と現状を話してもらった。この資料館は談話室の地下にあり、古い写真も展示されてあったが、1時間だけの予定だったので展示物等をゆっくり見る時間がなく、ドフ氏の語って下さることを聞くだけであった。以下、彼の話を紹介する。

 イスラエルのキブツは、1800年代にロシアやチェコなどから起こったシオニズム運動に発端をもつ。そのほとんどが10代(16,17才、ドフ氏の場合は17才)の青年たちによる運動であった。彼らがイスラエルに来る以前、すでにプラハで数年間若者たちのコミューンが形成されていた。(つづく)