ヨーロッパでのユダヤ人たちは国家から土地の所有が禁じられていたので金融業、医者、法律家、学者、音楽家がほとんどであり、インテリが多かった。そういう父母の世代の生き方ではなく、人間の本来の営みの根本である土を耕して生きることへの回帰を目指すムーヴメントに若者たちは燃え上がった。
キブツマアニットの創設者となる若者たちは、第二次世界大戦前1935年にパレスチナに帰還し、現マアニットから数キロ離れた場所に入植した。チェコからの55人であった。しかし、開拓は困難を極め、8年後に現在地に移った。そこは木は一本も無く石だらけの土地で水もなく、毎日数キロ離れた所まで汲みに行かなければならず、この地の開拓もハードなものであった。
井戸を掘ることを何度も試みたが英国人はこの場所から水は出ないと断言した。しかし米国の専門家が調査してくれ、彼らが出ると言った所を掘ってみると水が出て、それはそれは喜んだという。
日中の厳しい開拓作業を終えて一同は夜遅くまでどのような規律を作ってキブツを運営すべきかを熱心に話し合い次のことを決めた。
①全員が労働に服する(父母の時代には考えられないこと)
②全てが共有(下着一枚までも)、もらった物もすべてキブツに
③イコール(全員平等)
つづく