キブツへの道(7)

 このY青年は、なんとハーベストタイム主催のイスラエル旅行のセミナーに参加し、そのセミナーで用いられた資料を私に見せてくれたのだった。しかし、その時の私は時間的にも経済的にもイスラエルへのツアーに参加するここなど考えることも出来ない状況であったので、ざっと目を通しただけであったが、『つのぶえ』紙は興味深く読ませてもらった。

 『つのぶえ』は現在も続けて読ませてもらっている。Y青年はその年の春に大学を卒業、就職し、研修期間中で、研修所のある西宮に来ていたのだか、半年間の研修が終わると東京の職場に配属されたので上京して行った。

 その後数年して教会堂の家主が1994年3月末で家を空けて欲しいと申し出て来られた。期限には未だ2年以上あつた。教会員は市内外の不動産店を回って移転先を捜したが難しいことがわかり、夙川教会は解散することになった。

 そして1994年3月末で、あすか野キリスト教会が無牧になることが判明し、あすか野教会との話し合いで(教団実行委員会が仲介して下さった)その年の4月1日から私が牧師(主任牧師)として赴任することが決まったのだ。

 阪神地区には超教派の阪神宣教祈祷会という福音派の集まりがあり、ほぼ月一回教会持ち回りで集っていた。兄弟団西宮教会もその祈祷会に加わっていた。