独りヴォランティア(43)

 この雌ろばのムタールは小柄で薄赤茶色、体全体はとても清潔そうで可愛い。人懐っこく寂しがりやさんである。彼女は人の傍にやって来ては仕事の邪魔をし、びわの実を食べてしまう。何度もすり寄って来るので鼻の上を撫でたり首筋を探ってやったりすると喜んでもっともっとと要求してきたり、満足して離れて行ったりする。試しにと背に乗ってみた。その乗り心地はすこぶる良く、温かいビロードの上に座ったような初めて経験する感触であった。

 主イエスが最後のエルサレム入場をなさる際に、ベトファゲで調達した子ろばに乗ってオリーブ山を下って行かれた時(マタイ 21:1~7)も同じような感触を味わわれたのであろうか、と思った。この日は午後になって東風が吹きはじめ暑くなったため午後の作業は取り止めになった。

 私の部屋の机上にキブツで手に入れた羊の写真を立てて置いてある。イラストなどで見る羊はどれも可愛く描かれている。 しかし、この写真で見る羊の顔はどう見ても不細工である。じっと見つめていると吹き出してしまうほど滑稽である。目は顔の大きさと釣り合いが取れないほど小さく左右に離れすぎ、鼻も長く太すぎる。何とも間の抜けた顔立ちだ。

 英語でも羊は主体性のない、とんまな、間の抜けた人を指す言葉らしいが、主イエスは人を羊に喩えなさった(ヨハネ 10:11)。それでも人間にとって羊は価値の高い財産である。同様に神は人間を価値高い存在と見て下さっている。しかし神の手元から失われた時、どんな価値が残るか、この写真の羊を見ているとそのことをつくづく思わされるのである。