独りヴォランティア(61)

 6/12(日)早朝は庭の除草作業、朝食後は花の苗の買付けのためにペタフ・ティクバへ車で出かけた。運転はアブラハム。彼の兄嫁も同行した。ペタフ・ティクバはテルアピブの北10km、シャロン平野南部にある人口12万人の都市である。「開拓村の母」と呼ばれるこの町は150年前にはひどい沼地であった。

 イスラエルで最初の農業開拓村であるこの村の創設者達の一人てあるソロモンは「友よエルサレムの城壁を出て大地に帰ろう。我々の父祖たちは、この約束の地を耕し、その収穫物を神に捧げたのだ」とユダヤ人達に呼びかけたのであった。

 彼らは 1878 年にこの沼地を購入して開拓を始めたが努力の限界を超えた過酷故に一度はエルサレムに退去しなければならなかった。首まで泥に浸かっての作業、翌年のマラリアの大流行により多数の死者発生。大雨による川の氾濫で家屋と畑の流出のためであった。

 大半の人々が開拓を断念したが、三人が再度不屈の精神で開拓に向かい、遂に1882年にロシアからの移民を受入れるまでになった。この地の開拓の成功によって全イスラエルで建国に向かっての開拓が進められる基が据えられたのであった。”ペタフ・ティクバ”は「希望の門」の意味でホセア書から取られた(2:17)。