独りヴォランティア(63)終

 キブツ滞在が長くなるに従ってキブツ側のヴォランティアに対する様々な配慮(福祉)が除々に分かってきた。つい先日までは奴隷か使用人のように扱われている様に思い、自由が少なく飼われているような窮屈さを感じていた。

しかし今日、係のレビに会って話してからはこのキブツが配慮に満ちている事が判かり、心が開放されたような気分になった。それと共にヴォランティアに対して与えられているこのような配慮について、どうしてS師は日本のヴォランティアに対して伝えず、受けさせなかったのか理解に苦しんだ。

 S師はいつも「キブツに迷惑や負担をかけてはいけない。それがクリスチャンとしてキブツの人々への証しになる」と口癖のように語っておられた。しかし、これは逆に躓きになっているのだ。「日本人のクリスチャンはクレイジーだ(狂っている)何が楽しくて働いているのだろうか、あんな風にはなりたくない」と陰口を叩かれているのだ。キリストの福音に生きる事と、証しについて考えさせられる。