エルサレム独り旅(17)

 城壁伝いに道なき道を歩いてライオン門前まで行った。この門は高さ 5m、横幅 4mほどの門で、その周囲の城壁はシオン門ほどではないが、おびただしい銃弾痕が痛々しく残されている。第三次中東(7日)戦争の際、イスラエル軍はこの門から城内に突入して、旧市街全域を占領し、1900年に亘るエルサレムの異邦人支配を事実上終結させたのであった。

 このライオン門前から石畳の道をキロドンの谷の方への下り歩いた。谷の部分はオリーブ山との間に石橋が架けられている。橋のすぐ南側に木々に囲まれた建物の屋根が見える。これがギリシャ正教の「ステファノ教会」らしい。エルサレム教会の執事で伝道者であったステファノがユダヤ人たちから石打で処刑され殉教したのが、この場所であると伝えられている(使徒7:57-60)。

 そこは橋の上から見下ろして見るだけで通り過ごした。又、橋の北側には 100mほど向うの谷底にマリヤの墓の教会堂が建てられている。主イエスの母マリヤの埋葬と昇天を記念した会堂だ。もし、ここが墓だとすれば、イエスの母ではなくマルコの母である可能性の方が高い、と私は考えている。この辺りはマルコの家のオリーブ畑であったと思われるからだ(マルコ 13:32,51,52、使徒 12:12)。ここも素通りしオリーブ山の頂上を目指した。