エルサレム独り旅(16)

 発掘されたヘロデ王時代の数々の遺蹟を見ながら糞門の前を通り過ぎて、なお城壁伝いに歩いて行くと同様の遺蹟が発掘されている。更に城壁の南東の角近くは、城壁が北へ数十メートル 90度の角度で折れ、そして又、数十メートル東に続き、キロドンの谷の手前で旧市街の南側の城壁へとつながってゆく。

 この辺りは数多くの発掘物を見ることが出来るが、道路側からは柵があって中へ入って見ることはできない。ここは、旧約時代には、オフェルと呼ばれていた場所でエルサレムの要害であった(歴代下 27:3、33:14、ネヘミヤ3:26,27、11:21)

 ここは神殿で働く人々が住んだと書かれている。現在ここは城壁の内側も含めて南の壁考古学公園となっている。私はそこから更に北側へ南壁に添うように歩き続け現在は閉じられている黄金門のすぐ前まで歩いて行った。

 この周辺はアラブ人と思われる多くの古い墓石が立てられている。黄金門はアラブ人によって石のブロックで完全に塞がれている。私は更に城壁に添って北のステファノ(ライオン)門まで歩いて行った。

 この門の上にライオンの像が刻まれているのでライオン門と呼ばれているが、この門外でステファノが殉教したことからステファノ門とも呼ばれている(使徒 7:54-60)。