エルサレム独り旅(42)

 別れ際にその若い牧師が「あなたはユダヤ人伝道をどう思いますか」と尋ねてきた。私は当時の自分の理解していることを話した。「主イエス様が命じられたのは全世界への宣教である。旧約のイスラエル(神の民)は現在の教会である。イスラエルの祝福を祈ることは、新約時代は教会の祝福を祈ることである。

 今はキリストを信じた者たちが神の契約の民であるのだから。ただ終りの時、ユダヤ人の信仰が回復するというのも神のご計画である。だからユダヤ人伝道に神からの召しを受けたならそれに携わったらいい」と。彼は「そうですね」と言い互いに住所と氏名を交換し握手して別れた。

 この頃も日本からの旅行者が少なかったので彼らに会え久々に日本語で話せたので嬉しかった。ユダヤ人に対する見方は 16年後の今は随分違ったものとなっている。ユダヤ人も異邦人もどちらもイエス•キリストによってのみ救われ、真の神の民となるのである。そこには何の区別もなくキリストに於いて一つであり、共にアブラハムの子孫とまで断言されている(ガラテヤ 3:26-29)。

 しかし他方ユダヤ人と異邦人は召しに於いては明確に区別されている(ローマ 11:25-29)。異邦人はユダヤ人に対して誇り高ぶってはならない。(ローマ 11:8-24)。異邦人数会はユダヤ人教会に対して恩義があり、支援する義務さえもあるということを(ローマ 14:26,27)。