ハデラの町に関して小出正吾師が『聖地巡礼』(審美社 1970年刊)で書いておられるのでその大要をご紹介する。
”ハデラは1891年に近代シオニズム運動の最初の移住者たちが入殖し、湿原地帯のマラリヤに悩まされながら開拓して建て上げた町である。その苦闘の跡が今、広い墓地となって残されている。ハデラとは「緑」の意味で、かっては葉が沼沢を青々とおおっていたがそれが今柑橘の繁みに代わっている。”
”町の中央にはユダヤ会堂があり、そのそばにアラブの旅宿が残っている。隊商宿の名残りだが、最初の入殖者が土地と共に買い取り、彼らの住居になった。この町の紋章は左にレモンの果、右に隊商宿址が描かれ、下に「涙とともに播く者は 歓喜とともに穫らん」(詩篇 126:5)が記されている。”
これらの文章を見る限りこの町は現代イスラエル最古の開拓地の一つであることが分かる。最近はロシアからの帰還者が多く、町の中央広場でロシア語の書籍を広げて売っている人々も見かけた。
キブツに戻った私たちは簡単に夕食を済ませ、この日の反省会をした。そして、午後8時半からヘブル語会話教室の第一回目を受講するのである。