これは私の憶測であるが、先の小さな靴でも我慢すること、ランドリーを利用しないことなどキブツ側がヴォランティアに当然の事として備えてくれていることも、寝る場所と食事以外は全て辞退し、ただ労働を提供することが、キリスト信仰を証しする最も効果的方法であると考えておられるのではなかったのか、ということである。
これは遠慮することが徳目と考える日本的発想であり、現地の人々からは非常に奇異に見られた。S師たちツアーの一行が帰国された後、何人かのキブツ住民から、日本人ツアーの働きぶりは(感心されるよりむしろ) クレイジーだと冷笑されてしまった。
相手側の好意を十分理解し受け止め、深い相互理解による交流をしないと、一方的に与え、押しつけても相手側の心にはなかなか届かないのではないか。主は「受けるよりも与える方が幸いである。」(使徒20:35)と語られた。その通りだ。しかし、相手の善意を受け取る謙虚さも又大切なことだと思う。