車はシャロン平野からエズレル平野に向かって山合いの谷間の道を上ってゆく。この谷は北のカルメル山脈から南のサマリヤ、ユダヤ山脈に連なる山々の間を縫ってゆく道で、現在はきれいに舗装されている。
この道は古代はエジプトとバビロン、ペルシャを結ぶ海の道と呼ばれる幹線道路の一部であった。エジプトから地中海沿いにガザ、そして後世のカイザリヤ付近から東に向かい、メギド、シリヤのダマスコ、後のパルミラ、更にユーフラテス川沿岸の町々、マリ、アッカド、バビロンそしてシュシャン(ペルシャのスサ)に迄至る1500kmにも及ぶ道であった。
この車の窓から左右の山々を見ながら、この道を行き来した古代の人々のことを思い描いた。今から2600年も前にエジプトの玉ネコは、大軍を率いてこの道を上り、メギドでユダの王ヨシュアを撃ち、アッシリアに向かったのであった(列王記下 23:29)。この谷間の道を何万もの軍勢が武具を装備して行き来したことを想像するだけでも私は疲労感を覚えた。20分ほどで視界が開けて来た。エズレルの野である。