ツアーの人々との団体生活(58)

 エズレルの野が眼前に開けて来た時、右側の車窓から「タアナク」を指す標識が見えた。この地は現在はテル(廃丘) で人は住んでいないが、旧約聖書(ヨシュア記、土師記など)だけで言及されている。

 ヨシュアのイスラエル軍によって占領されたこの地域はマナセ部族に割り当てられたが、マナセ部族はタアナクを支配下に置けなかった(土師 1:27)。1901年以降の発掘調査により、「タアナクのアシュタロテ」と呼ばれる女神の像が15個も出士し、それらが紀元前12世紀(ヨシュア・土師時代)のものであることが判明している。

 タアナクはメキドの南東8km、エズレルの野の南東端に位置しているが、エズレルの野はメギドの野とも呼ばれ戦争が頻繁に行われた戦場の野なのである。平原に入るとすぐメギドジャンクションがあり、左折すればハイファに、右折すればタアナク方向に行く。

 この交差点のすぐ右手がテルメギドで有名なメギドの遺丘である。後にも何度かここを通過したが、この遺丘を観光する機会を得られなかったのは残念であるが、その地形や位置を知ることが出来たことは幸いであった。