ツアーの人々との団体生活(61)

 アフラから南東への道に行くと、サウル王と彼の王子ヨナタンが戦死したギルボア山とその麓を通ってベテシャン、ヨルダン川に通じている。南の道に進むと、パレスチナ人の町ジェニン、ヨセフが兄たちからエジプトに売られたドタン平野、サマリヤへ通じ、北東に進めばタボル山からガリラヤ湖に至る。

 南西への道は今、私たちが進んで来た道で、カイザリヤから地中海に至っている。このようにアフラはエズレル平野の交通の要衝である。現在の町は1925年にアメリカから帰還したユダヤ人たちによって開拓創建され、農業によって支えられ発展した町である。

 私たちの車は北東への道に進んで行く。15kmほど先に進むと、タボール山の麓にさしかかった。車の左手にお椀を伏せたような形の山がそびえ立っている。標高は588m。ここは女士師デボラが指揮するイスラエル軍が将軍バラクに率いられて、シセラ将軍に率いられたカナン軍と激戦を繰り広げた場所として知られている(士師記 4~5章)、麓から山頂まで上ってゆく道も確認することが出来る。山全体は緑色に包まれている。