ツアーの人々との団体生活(73)

 ティベリヤの町は約2千年の歴史を有し、ユダヤ人にとっては極めて重要な町である。紀元17年、ヘロデ・アンティパスが、かってラカットと呼ばれた古い町の遺蹟の上にこの町を建て始め、22年に完成させたが、時のローマ皇帝ティベリウスに因んでティベリヤと命名した。それ以来今日に至るまでユダヤ人たちはこの町に住み続けている。

 紀元70年にローマによるエルサレム陥落後、この町はユダヤ教の中心地となり、2世紀にはサンへドリン(最高裁判所)が置かれ、ミシュナ(ユダヤ教の口伝を文書化、法制化したもの)が編纂されたのもこの町であった。

 4世紀にはここでエルサレム版タルムードが完成した。ヘブライ語の母音記号が創案されたのもこの町である。新約聖書にはヨハネ福音書6:23だけにこの町の名が記されているが、主イエスがこの町を訪れた記録は残されていない。

 主イエスは当時、新興都市として栄えていたであろうこの町に宣教拠点を置かず、漁村にすぎぬカファル・ナウムに拠を構えなさった意図はどこにあったのか。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」と語られた主イエスの言葉(ルカ10:21)がそのことを暗示しているのではないか、と私は思っている。