エルサレムへの旅(12)

 この夜の反省会でS師は「モーセがネボ山から約束の地カナンを見たと聖書には記されている(申命記 34:1~4)が、そこが蜜と乳の流れる地であるかどうかは肉眼では確かめられなかったであろう。今日のような晴天でも、あんなにかすんでいてぼんやりとしか見えないのだから、多分モーセは、心の目、信仰の目で見たのであろう。私たちも信仰の目で主の御国を見よう、又見ることが出来る者でありたい」という感想を述べられた。

 確かに死海の周りの空気はいつもかすんでいて対岸の山々がぼんやりとしか見えない。高気温のため海水が蒸発し、その水蒸気のためそうなるのである。しかし聖書には「主はモーセにすべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、・・・・・」「わたしは、あなたがそれを自分の目で見るようにした」と明確に記されている。

 堺の西村牧師がネボ山に行かれた時、珍しく空気が澄んでいてカナンの地を北から南まで見渡せたと私に語って下さったことがある。主はモーセにすべての土地が見渡せるようにされた、とわざわざ念を押すように書かれてあるのだから、事実そうであったと私は信じている。自分の目で見たことや経験したことを絶対化するのでなく、謙虚に神のみ言葉に聴くことの大切さを私は尊重したいと思っている。翌朝(3/20)は5:50起床。朝食後アラブのバスでオリーブ山に行った。