エルサレムへの旅(31)

 「最後の晩餐の部屋」の建物の前に来ると一見して後代の建物であることが判る。現在の建物は十字軍がビザンチン時代の教会跡に建てた「シオンの丘の聖母マリア教会」の一部である。16世紀以降、イスラム教のモスクに用いられていたが、1948年のイスラエル独立後からはイスラエル政府の管理下に置かれ、宗教の区別なく誰でも自由に出入りできるようになっている。私たちも裏の階段を上って2階の部屋に入って見学したが、主イエスと弟子たちの最後の晩餐のままの部屋ではないので、見学する意味を感じなかった。

 しかし、その土地の上に建てられたものだとすれば興味深い。最後の晩餐(ルカ 22:7~38)の部屋はペンテコステの聖霊降臨の部屋(使徒1:13~2:4)と同じ場所で、マルコの母マリアの家のことであり、初代エルサレム教会の集会所(使徒 12:12〜17)となっていたと考えられる。このマルコの従兄弟バルナバ(コロサイ4:10)はレビ人であった(使徒4:36)ので、マルコの家系もレビ人か祭司であったと考えられる。

 彼の家が神殿に近いシオンの丘の上にあったのも不思議ではない。この直ぐ下には大祭司カヤパ邸跡と言われる鶏鳴教会もある。マルコの父の名が明記されていないのも、神殿に仕える者であったためであろうと思われる。これらのことは、私が帰国後に推理したことである。