独りヴォランティア(2)

 3/23(水)5:30起床、洗面後昨日届いた小包の中から赤だしとポテトスナックで軽食をとって、6:30よりガーデンの草取り、8:30 からはガーデンの除草液散水作業をアプラハム(ガーデン管理のボス、私と同じ1947年生まれ)と二人でする。アブラハムの語る英語を充分理解できない私は、最初から失敗をした。

 散水ポンプを肩から担いで注水するので水性肥料の散布作業と思って木の根元や芝生に注ぐと彼は慌てて大声でノーノーと叫んだ。私はキョトンとして立ちすくんでいると彼は「キルウォーター、キルウォーター」と言う。「殺す水」という意味と思い除草液だと気付く。私は「アイムソーリー」と言って頭を下げた時、手に持っていた散水器のノズルを押してしまったので除草液が噴射しアプラハムの頭から顔に掛けてしまった。彼はててタオルで顔を拭ったが、私は「アイムソーリー」を繰り返すばかりであった。この後、言葉を聞き取れないで犯す失敗を何度も繰り返すことになる。

 この作業中にアブラハムの両親の住居前に来た時、ご両親が私にペカーンナッツ(くるみに似た実)を少し下さった。家の前に大きなペカーンの木が植えられていた。彼らはチェコスロバキアからのアリアー(帰還者)だという。この日の作業は1:20で終わったので部屋に戻ってシャワーを浴び休息をとる。夜は手紙を書いた後、ヘプライ語文法の本から学び始める。ヘブライ語で「御免なさい」を調べると「スリハー」と言うのが分かったので、それを紙に書いてポケットに入れておいた。10:30就寝

中央がアブラハム(1994年8月24日マアニットの結婚式にて)

独りヴォランティア(1)

 部屋に戻ってシャワーを浴びた後、暫く休息の時を過ごした。昨夜までの3週間はずっとS師と同室で1日 24時間プライバシーも自由も殆どなく拘束された生活であった。しかし、この午後からは一切の束縛から解放され自由時間を持てるのだ。この開放感は言葉では表現できない。今まではすべてが団体行動であって朝の起床から夜の就寝まで自由行動ができず、息が抜けなかった。私の心は窒息してしまいそうであったが、今は思いっ切り深呼吸ができるのだ。

 部屋でくつろいでいると、南アフリカからのヴォランティアの一人が「ユキオ、荷物届いているよ」と日本からの郵便物を届けてくれた。家内からの小包だ。中には便りと食品が入っていた。嬉しくて直ぐに返事を書いた(家内からの手紙はこれで3信目である)。夕食を済ませて更に日本への手紙を二人の方に書き終えた。午後8時になって、これから後の自由時間の過ごし方の計画を立てた。

 日本から持ってきた書物は「聖書」、「聖歌」、「ヘプライ語入門」、「一日一生」(内村鑑三)、「地の基ふるい動く」(パウル・ティリッヒ説教集)である。他に英会話、和英辞典も持参したが、先に書いたように、これらは遺失した。これらの書物を日課として読み、学ぶことにした。

 今朝帰国された宮本姉が『イスラエル・ガイド』(ミルトス社)を私に残して下さった。これは滞在中大変役立った。