独りヴォランティア(62)

 ペタフ•ティクバの町並は閑静で平屋の一戸建ての家々が規則正しく並んでいる。各々の庭には木々が植えられており緑に囲まれている。これがアラブ人の家との明確な違いだ。

 フラワーショップは広大である。ガラスの温室内で苗の売買がなされているが、温室の外側の苗床は際限のない程広い。どこまで続いているのか判らない程だ。その向う側の彼方(東方)にはサマリヤの山並みが見える。この地がかつてはマラリヤが大発生する沼地であったとは、今は想像できない程美しい土地になっている。

 今日は午後の作業はしなくてもいいとアブラハムが言ってくれたので午後は部屋に戻って昼寝をしてからへプライ語の学習。夕方、ヴォランティアハウスに行って作業靴の交換などをした。兵役に行ったアロンに代ってレビ(女性)が私達の担当になっていた。彼女が「どんな物でも必要なものがあれば必ず言うように!作業の希望も遠慮せずに言うように」と言ってくれた。

 この日まで作業場は全てアロンが決めるとばかり思っていたが自分で希望を出すのが、このキブツのシステムであった。又、作業靴も自分の足のサイズに合ったものをヴォランティアハウスの棚にある靴から自由に選んで使えば良いのだ、と言うことを知った。後にレビがトイレ用洗剤や、それに類する物を私の部屋に届けてくれたので驚かされた。

独りヴォランティア(63)終

 キブツ滞在が長くなるに従ってキブツ側のヴォランティアに対する様々な配慮(福祉)が除々に分かってきた。つい先日までは奴隷か使用人のように扱われている様に思い、自由が少なく飼われているような窮屈さを感じていた。

しかし今日、係のレビに会って話してからはこのキブツが配慮に満ちている事が判かり、心が開放されたような気分になった。それと共にヴォランティアに対して与えられているこのような配慮について、どうしてS師は日本のヴォランティアに対して伝えず、受けさせなかったのか理解に苦しんだ。

 S師はいつも「キブツに迷惑や負担をかけてはいけない。それがクリスチャンとしてキブツの人々への証しになる」と口癖のように語っておられた。しかし、これは逆に躓きになっているのだ。「日本人のクリスチャンはクレイジーだ(狂っている)何が楽しくて働いているのだろうか、あんな風にはなりたくない」と陰口を叩かれているのだ。キリストの福音に生きる事と、証しについて考えさせられる。