エルサレム独り旅(5)

 今から 2500年前のヒンノムの谷の焼却場のゴミは既に燃え尽きて、現在はその火も跡形なく消滅している。これは確かめるべくもない事実なのだが、私はあえて自分の目でしかと確かめたいと思ったのだ。

 マルコ福音書には「地獄の消えない火の中に落ちるよりは…地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」(9:44、48)という微妙な表現が成されている。焼却場の火は焼かれる物が焼き尽くされるまでは燃え続け、蛆も尽きないが、焼き尽くされれば消える。

 マルコの福音書のこの箇所でも原語(ギリシャ語)ではゲヘナである。ルカ福音書でも「(麦の)殻を消えることのない火で焼き払われる」(3:17)とある。実を結ばない枝も同様だ(ヨハネ15:6)。これらは焼き尽くされ消滅してしまう事のヘプライ的表現なのだ(イザヤ 34:9、10、エレミヤ 17:27)。

 エドムの地もエルサレムのかつての門を焼き尽くした消えることのない火も今は消えている。(ヘブライ 10:27、12:29を参照のこと)。元来聖書にはない霊魂不滅説(ギリシャの思想)の影響を受けしまった人々が「滅びる人々は永遠の時を地獄の火の中で苦しみ続ける」と思い込んでしまい、今もそのように信じている人々が多い。私は今、アドベントの条件的不滅のルーツとなった場所を自分の足で歩こうとしているのだ。