エルサレム独り旅(15)

 神殿詣のための水浴による体を清める行為はキリスト時代のユダヤ教では当然の義務とされていた。三大祭の際には何十万人もの参詣者が訪れたエルサレム神殿には、その周囲にかなりの数の水浴(沐浴)のためのプール(ミクべ)が必要であったと思われるが、この発掘跡にはそれを物語るように多数のミクべを見ることが出来る。

 岩を刳り抜いた横長の洞穴の入口の天井の高さは1mほどしかない。横幅は数メートル。入り口の部分から奥は石段が数段下り、その奥が水槽になっている。すべてのミクペには現在は水がないので、体を屈めて中まで入ってみた。かなり狭く窮屈な空間だ。

 天井が低く立ち上がることが出来ないので、こんな所に何人もの人が次々と水に浸かるのは、さぞ大変なことだったろう。水はすぐに不潔になったであろうから清めるというよりもかえって体が不潔になったのではなかろうか。うわべだけの単なる儀式がいかに空しいものであるか、ということを思い知らされる。

 当時のユダヤ教では外出から帰宅した時にも足を洗い、食事の際には手を洗うことが義務づけられていたようだが、それは「衛生上」のことよりも「宗教上」の行為であった。清潔な水を得ることが、現在よりも困難な時代にはなお更のことだ(ヨハネ13:5、ルカ7:44、マタイ 15:2)