エルサレム独り旅(49)

 クムランは20世紀最大の考古学的発見とされている。600巻にも及ぶ死海文書と称される聖書写本などが発掘された所として有名な場所である。発掘品にはほぼ完全な形のイザヤ書(2巻)と詩篇(1~151編)も含まれている。

 この写本発見を契機に洞窟周辺から多くの住居跡も発掘され、この住民はクムラン宗団と呼ばれている。イエス様の時代に聖書に出てくるファリサイ派とサドカイ派の他にエッセネ派もあった事がヨセフス(1世紀頃のユダヤ人歴史家)の書物によって知られていた。

 このクムラン宗団がエッセネ派だというのが現在では定説になっている。サドカイ派はエルサレム神殿に仕えている祭司団の人々であったが当時の政権と癒着し腐敗しきっていたグループであった。イスラエルの貴族階級で富裕で利権を守るために様々な汚職・犯罪を繰り返し行い主イエスを殺してしまう。

 一方、エッセネ派は同じ祭司家系でありながらエルサレム神殿を支配する祭司たちとは一線を画し、神の前に聖別された生き方を貫徹しようと、神殿に訣別し荒野のクムランで新たな共同体を形成した人々であったことが判明している。

 しかし彼らも1世紀終り頃にローマによって滅ぼされたが多くの貴重な文書を洞窟に隠して後世に残したのであった。しかし、神は分離したクムランにではなく、エルサレムの祭司ザカリヤにみ使いを遣わし(ルカ 1:5-20)、洗礼者ヨハネを遣わされたのであった。