イスラエル中部、地中海沿岸の大都市テルアビブヤッフォは名実共に現代イスラエルの政治経済の中心地である。ここから南は、東のエルサレムからへブロンのユダ山地と、西のユダ低地(シェフェラー)に区分されるが旧約時代はユダ族に割り当てられた地であった。
沿岸地方の一部(北)はダン部族の嗣業地であったが、士師時代にはペリシテ人が住み着いていて、鉄器を用いた彼らの軍備は強力であった。それ故に士師時代からサウル王時代までイスラエルはペリシテと苦戦を強いられたのであったが、ダビデ王によってようやく制圧されたのであった(サムエル下 5:17-25)。
それ故にシェフェラーは士師時代や初期イスラエル王朝時代の遺跡の宝庫である。ペリシテの五代都市国家(ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロン、ガト)、ダン部族の士師サムソン縁の地を私たちは現在も見る事ができるのである。
サウル王に追われて逃げ回っていた若きダビデが身を隠したアドラムの洞窟もツイクラグもこの辺りにあるのだ(サムエル上 22:1,27:6)。私たちはこの辺りを通過するだけであったが…。
テル・アゼカの展望台で朝食を済ませた私たちは緑の潅木の間の細い道を左右に曲がりながら麓まで下ってくると、ベドウィン (遊牧民)の天幕が展示されてあり、自由に中に入って見る事ができた。
エラの谷の平野の南端には東側に分岐する 375号線があるが、標識にはベツレヘムと書かれてあった。ダビデは父から遣わされて兄たちのもとを訪ねたのは、この道だったのだろうか(サムエル上 17:12-22)。