ヘブライ語の歴史の講義が20分ほどあってから、現代へブライ語会話実習が始まった。与えられたプリントの英字をローマ字読みで暗記してゆくのである。
ani (アニ,私は)
avrahan(アヴラハム、アブラハムです)
mi (ミ,だれ)
ata?(アタ,あたたは<男性に>).
「アニ アヴラハム ミ アタ」は「私はアプラハムです。あなた(男性)は誰ですか。」という意味になる。
ani (アニ,私は)
yitzxak(イツハク、イサクです)
mi (ミ,だれ)
hu?(フ,彼は).
その返事「アニ イツハク ミ フ」は「私はイサクです。彼は誰ですか。」
更に,
hu(フ,彼は)
ja-akov (ヤアコヴ、ヤコブです).
女性の場合は、
an i (アニ,私は)
ssara(サラ,サラです)
mi (ミ,だれ)
at?(アトゥ、あなたは<女性に>).
ani (アニ,私は)
r-ivka(リヴカ、リベカです)
mi (ミ,だれ)
hi?(ヒ, 彼女は)・・・
というようなものである。最初は全くチンプンカンプンであったが、繰り返し読み、単語の意味を説明してもらううちに少しずつ会得してゆくことができた。
「アニ ユキオ ミ アタ(女性にはミアトゥ)」、これで「私はユキオです。あなたは?」と イスラエル人に話しかけることが出来るのだ。「シュミ ユキオ マ シムハ(女性にはマ シメフ)」
「私の名前はユキオです。あなたの名前は?」という言い方もある。イスラエルでは通常 ファミリーネーム「吉川」で呼び合うことはない。すべて ファーストネーム「ユキオ」だ。10代の女の子も、小学生の子供でも「ユキオ」と私に呼びかけてくる。
イエス様のことを最近は説教の中でも「イエス」と 敬語なしで呼び捨てる人が 多くなってきたが、イスラエルでは(欧米でも)これが普通なのだ。もちろん イエス様の時代も同様だったのであろう、「ダビデの子イエスよ私を憐れんで下さい」(マルコ 10:47)「ヨセフの子イエスだ」(ヨハネ 1:45)。「イエスは言った」などすべて呼び捨てである。
イスラエルでは兵役を終えた若者の多くは外国旅行をする。日本にも多数来ていて、その多くは路上でアクセサリーなどを売って旅費を稼いでいる。そういう人を見ると私は「アニ ユキオ ミ アタ」と声をかける。すると相手は目を丸くして驚く。日本でヘブライ語を聞くのだから。