エルサレムへの旅(9)

 ゴルゴタの丘と主の墓は、4世紀にコンスタンティヌス皇帝の母へレナがパレスティナ巡礼の際に見つけた聖墳墓教会が旧市街の城壁内に既にある。考古学者、歴史学者、カトリック、ギリシャ正教等はここを支持している。「園の墓」は学者によるともっと古い第一神殿時代(B.C.7 世紀頃)のものであろうと言う。

 しかし、ここの岩の丘がしゃれこうベそのものだということと、そのすぐ近くに園と墓があることが注目され、1860年に、ここが真実のゴルゴタではないかと言う人が現れた。更に第一次世界大戦中に英国軍人ゴードンも同調したことから「ゴードンのカルバリ」と呼ばれるようになったのだという。

 現在は英国のプロテスタント系の教会が管理し、主にプロテスタントの信徒が多く訪れている。私たちは、そこでゆっくりしゃれこうべの岩を見てから、木々の間の道を歩いて墓の前の広場に来た。墓の入口の右側の部分の岩が壊れていてコンクリートブロックで修理されている。それが雰囲気を壊してしまっている印象を受けた。来場者があまり多くなかったので、私たちはすぐに墓の内側に入って見ることが出来た。