エルサレムへの旅(22)

 この洞窟は聖誕教会に隣接するフランシスコ会(カトリック)の聖カテリーナ教会の地下まで繋がっている。この洞窟内でヒエロニムス(342 頃〜420)が聖書全巻をヘブライ語とギリシャ語からラテン語に翻訳した。

 彼の訳は「ヴルガータ」と呼ばれ、カトリック教会はこれを聖典として用いてきたのである。ヒエロニムスは翻訳に15 年もの年月を要したが、このベツレへムで地上の生涯を終えた。彼は信仰的理想が高く厳格な精神の持ち主であったが、怒りっぽく反対者達を侮辱したり、その毒舌は野蛮で無礼なものであった為、多くの人に嫌われたという。しかし友人や弟子達には深い愛情を示したため彼を慕う人々もいた。その中にはローマの貴族の末亡人パウラという・人もいた。

 彼女の資産がヒエロニムスのベツレヘム滞在の全ての必要(費用)を満たしたと伝えられている。パウラの死後ヒエロニムスは彼女の遺骨を見ながら翻訳を続け完成させた。聖カテリーナ教会堂の前庭には彼の石像が立てられているが、その足元にはパウラの骸骨像も置かれてある。

 私達は彼の石像を見てからメンジャー広場に戻った。その時アラブ人の少年たちがイスラエル兵達に対して、この広場で投石をしていた。その石の一つが S師の頭の直ぐ横をかすめていった。少年たちが逃げると数名のイスラエル兵がゴム弾銃を構えながら追っていったのある。