ツアーの人々との団体生活(91)

 夜の反省会で明朝K師がイスラエルを発ち、ローマ、ロンドンを観光してから帰日されることを聞いた。「イタリアは泥棒が多いので気を付けて下さいね」と全員が冗談混じりに忠告したが、後日、ローマでK師が盗難に遭われ、パスポート、財布、カメラなど一切盗まれたと、S師より聞いた。お気の毒であった(しかし後日、私も財布を盗まれる被害に遭う)。

 この日の夜突如として大粒の雹(ひょう)が宿舎の屋根をカンカンと打ちはじめ、それに続いて大粒の雨が激しく屋根を打ち付け雷が鳴り続け大荒れとなった。これが夜なか中続いた。翌朝4:15にK師はタクシーでキブツを離れ空港に向かわれ、アリーザも空港まで同伴した。

 この日は日曜日だが、イスラエルでは平日、6:30~14:30アボカドの収穫作業。この日は不思議なことにK師の出発時と畑仕事中は降雨せず、朝食、昼食中と仕事が終わって部屋に戻った後は雨であった。15:45より聖日礼拝の時を持った。この日は疲れていて夕食後19:00には床に就いた。

 翌朝3/14(月)は 4:35に起床、日本への手紙二通書く。この日はバナナ畑での作業を終えて、手紙をもう一通書いてからポストに投函、その後 ヘレナ宅を訪れた。

ツアーの人々との団体生活(92)

 ヘレナ宅へ5時すぎに訪ねるとハバも居た。私がヘブライ語を学びたいと願っていることを知っている二人が真剣に考えて下さっていたのだ。「ヘブライ語学習で最も重要なのは、ヘブライ語以外の言語を一切使用しない環境の下に行くこと」とヘレナは語り、紹介は可能だとも言ってくれた。正規のルートでは無理だがハバの友人が居住しているキブツなので大丈夫だという。

 そのキブツにはウルパン(ヘブライ語会話教室)があり、ウルパンで学ぶヴォランティアの仕事は午前中だけで午後はヘプライ語の学習をする。私にとっては願ったりかなったりである。ニ人の厚意に感謝した。この後ヘレナの子供たちに折り紙で飛行機と紙鉄砲を作ってあげるととても喜んでくれた。

 この日の夕食はS師が日本より持参した即席ラーメンに玉葱、玉子、菜っ葉を入れて食した。夜の反省会ではそれぞれの「感謝」を語った。

S師「体調が良くなってきた。今日は最も楽しかった!」。

宮本姉「友を得る祈りがK師という最も頼れる方を与えられて、かなえられた」。

M姉「体が支えられ、騒がしいキッチンの仕事場でも密室(祈り場)がもてること」。

私「ヘレナとハバの厚意(へブライ語学習の道)」。

 この夜、9:40に就寝。

ツアーの人々との団体生活(93)

 3月15日(火)今日は初めてガーデン(庭)での仕事。6:30より植樹の保護ネット張り。朝食後8:30より除草。最も厄介な雑草は茨で、刺の長さが 3~4cmもあり、数の太さも尋常ではない。こんなものを編んで冠とし頭に被せられその上から棒で叩かれたらと想像するだけでぞっとする。

 昼食後12:40からはバラの木の枝払い。この作業で手に刺が何度もささり、傷だらけになった。この日の夕食はヴォランティアのスペシャルディナーだったが、エリエゼル宅に招かれていたので日本人だけで簡単に食事を済ませた。

 エリエゼル宅ではテレビを見ながらケーキとコーヒーを頂いたが、特にこれと言った会話をすることもなく、エリエゼルがどういう人なのか、私には良く分からないままに終わった(英会話が出来ない悲しさ!)。

 3月16日(水」この日もガーデンでの仕事。高さ2mほどに育った杉の木の枝刈り。日本式に刈り込むとキブツの老人たちから礼を言われた。ただ剪定はさみの取手部分が木ではなく金属で恐ろしく重いもので開口した。この日の作業後M姉から相談を持ちかけられた。

ツアーの人々との団体生活(94)

 M姉は20歳台後半で、ご主人と二人で中部地方在住の方である。このキブツツアーには昨年に続いての参加で、昨年以前にも何度か参加している常連だ。しかし体はそれほど丈夫ではないらしく、キブツでの作業も時々休まれていた。今籍のある教会には事情があって出席せず、別の教会に通っていて精神的にもナイーブな方らしい。

 その彼女がS師に内密で話を聞いて欲しいと言われるので物見の塔で会うことにした。彼女が話したのはツアーリーダーであるそのS師のことであった。朝食の時、私の皿のチョコレートを彼女がスプーンで少し取って味見をしたことを厳しく咎められたのだという。

 「既婚者はどんなことがあっても異性の体や物に触れることは良くない。私は家内以外には絶対触れない。たとえ目の前に溺れている女性がいても私は手を出して助けることもしない」というのである。昨年来た時にも彼女の上着が他の男性の上着に重ねて置いてあっただけで厳しく注意されたとも言った。

 彼女はこれらについて私の意見を求められたのだ。(そして私自身もS師から非難の対象になっていたのだ)。

ツアーの人々との団体生活(95)

 緑に包まれたのどかなシャロンの野の真中で日本人牧師に関する相談を聞いている私。同労者に対するこのような相談は日本でも何度か経験しているが、イスラエルでは想定外である。しかし人が共に生きる限りこのようなことは常に起こり得ることだ。

 M姉に対して私がどのように言ったか、残念ながら日記に書き残していないし、私の記憶も定かではない。この種の相談を受けた時のコメントには注意を要する。S師の批判をするのは簡単だが、「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。互いに重荷を担いなさい」(ガラテヤ 6:4, 2)と奨められている。完全、完璧な人(牧師)など存在しないのだ(もちろん私も含めてのこと)。

 「食べる人は主のために食べる。また食べない人も主のために食べない。そして神に感謝しているのです」(ローマ 14:6)。お互いの信仰は尊重されねばならない。だから安易な批判は慎まねば私自身が違反者になってしまうのである(福音の根幹に関わる以外は)。

ツアーの人々との団体生活(96)

 M姉の困惑に対して、今、私が思い起こすのは、次の主イエスの言葉である。「もし『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう」(マタイ 12:7)。

 私は以後S師をつまずかせないように振る舞うべく努めた。しかし後日、聞いたことだが、S師は私たちが不倫を行っていると他のメンバーに語っておられたという。残念なことだ。私の皿から取って味見をしたのはM姉だけでなくK婦人牧師も同様になさっていた。

 それなら、私はその人ともそういう関係ということになる。こういう事由によりS師、K師、M姉は匿名にしたのだ。信仰の立場が著しく異なる人々との共同生活の難しさを思い知ることとなった。とにかく、このツアーのリーダーはS師なので、S師の前につまずきとなるようなことは控えるように注意しなければならない(ローマ 14:13~15:3)

 私はM姉が気の毒でならなかった。高額なツアー料金を支払い、きつい労働をし、その上、このような精神的苦痛を強いられ…。この日、更に残念な知らせが私に届いた。

ツアーの人々との団体生活(97)

一昨日ハバとヘレナが私のヘブライ語の学習のために取り計らってくれていた件がだめであったという連絡があった。そのキブツのウルパン(ヘブライ語教室)が「神の幕屋(原始福音)」グループ専用で一般は受け入れないということである。「神の幕屋」グループとは無教会系の異端的教派である。

 聖霊体験をキリストの贖いと規定し、十字架の死による贖い(罪の赦し)は弟子たちの創作(捏造)として否定する。仏教や神道など日本文化を尊いものとし、歴代天皇や歴史的人物もキリストを信じなくても救われると教える。ユダヤ人にもキリストの救いは伝えない。すでに聖なる民だから。(万人救済説の立場の団体と思われる。)

 この団体はユダヤ人とイスラエルの中に深く入り込んでいて、或るキブツと提携している。その中に神学校に類するものを作り、若者にヘプライ語を修得させているのである。このグループの人々の多くはとても真面目で信仰に熱心な人々である。私のイスラエル滞在中にこのグループの人々の集団を各地で見かけた。

ツアーの人々との団体生活(98)

 この日の夕方はみんなでヨハナン宅を訪ねた後、食堂で夕食をとり、他国のヴォランティア仲間に折り紙とコマ回しを紹介し、楽しい交流の時を過ごした。又、この日、道端に植えられているいちじくの木にいくつかの青い実がついているのを見た。主イエスが受難の週に葉の繁ったいちじくの木を見て実を捜されたが見つからなかったことが聖書に記されている(マタイ 21:18,19)。マルコ福音書では「いちじくの季節ではなかった」(11:13)とある。

 キリストの受難はユダヤの過越の祭りの頃なので、毎年3月〜4月である。今日は3月16日だからその季節に入る頃である。マルコが書いたように本当にこの季節は実がないのか、と気になっていたのだが、実がついている木もあることを確認することが出来た。しかし実は未だ青く硬いもので食べるには適してはいない。ただそれだけのことなのだが、疑問に思っていたことの一つが確かめられたのは収穫である。

 日本の家族からの手紙(3/2付)が届いた。航空便で14日も要っている。イスラエルの郵便局の仕事ぶりは極めて緩慢なもので市民へのサービス精神はほとんど見られない。

ツアーの人々との団体生活(99)

 3/17(木)早朝はバナナ畑の木の手入れ作業、枯葉の除去と雑草刈り。朝食後はビワ畑での摘果作業、一房(枝)に果を2個だけ残す。

 この日、昼食後は作業を止めて、バナナ畑で働いているアラブ(パレスチナ)人のご老人の家を訪問することになった。ヨハナンが車で連れて行ってくれる。マアニットからアフラ街道(65号線)に出てアフラ方向(北東)へ少しばかり走って右折。もうここはアラブ人の村で標識はほとんどアラビア語で村の名前も読めない。ユダヤ人地区とは違って道は舗装されておらず、私の子供の頃の村の雰囲気を思い起こされる情景だ。

 そのご老人が出迎えて下さり、細い道脇のそう広くない庭のベンチに全員腰を下ろした。そこにはかなり大きく育ったいちじくの木が葉をいっぱい繁らせており、他に木が数本あったが草花などは一切植えられていない。犬が一匹つながれており、鶏が飼われている。ベンチのすぐ横にはパンを焼くための土造りの釜があり、年代物である。釜の内壁に練り粉をはりつけて焼く古いタイプのものだった。

ツアーの人々との団体生活(100)

 アラブ人の老人とヨハナンが穏やかな口調で会話を交わしているが、何を話しているのか、その内容はさっぱりわからない。30分ほどお邪魔をしたがその間老人の奥さんがオレンジのドリンクとアラビアンコーヒーを出して、もてなして下さった。

 そのお宅をいとまごいしてからアラブ人の村の中を車で見て回った。ヘロデ王時代の遺蹟も残っている。水だめ用の井戸も2基あり、どちらも2千年以上も前のもので、40年前まで現役として利用されていたのだという。一基は空で、もう一基は満水状態で外まで水が溢れていた。どちらも中はゴミだらけである。

 現在はイスラエルが水道を設置したので、もう使用する必要がなくなったのである。パレスチナ人地区の電気、水道、ガスなどのライフラインの多くはイスラエル側から供給されている(ガザ地区も同様)。

 その井戸の側には、イスラムの名のある人の古い記念堂があり、棺が安置され祈り場となっていた。そこから少し行くとシャロンの野原。春菊、ひな菊など、黄色・ピンク色などの絨毯を敷き詰めたようだ。イスラエルでは春菊はあまりにもありふれた野草のため名前がないのだそうで、主イエスも春には、春菊をご覧になっていたのは間違いないという。

ツアーの人々との団体生活(101)

 そのシャロンの草原の中にベドウィン(遊牧民)の大きなテントが二張り立てられている。すぐ側には彼らの定住用の家屋もあった。周囲には牛や羊などの家畜が放牧されており、のどかな牧場の風景があった。

 イスラエル国内に住む遊牧民に対してイスラエル政府は定住化を推進しようと働きかけており、その支援もしているという。ここのベドウィンもそれを受け入れて家屋を建てたのであろう。昔は自由に遊牧できた彼らも近年は多くの国境に阻まれ、自由往来が利かなくなってしまった。

 そこからすぐ北西にイスラエル軍の野外記念劇場広場があり、そこの戦没者追悼施設の塔に上った。その石壁には独立戦争(1948年)から今日までの戦没者の氏名が刻まれている。そこで周囲の風景を眺めてからキブツに帰った。

 そして休む間もなくバスでハデラ市内に出向いた。先ず郵便局へ行って日本に電話をかける。局内の電話を利用するのだが混んでもいないのに25分も待たされた。料金は1200円。その後、ショッピングセンターなどで買物をした。グレープフルーツ(ルビー)5個70円、セロリ一株80円、イスラエルの道路地図の本(新書サイズ)1400円など。 キブツへはタクシーで帰った (1000円)。

ツアーの人々との団体生活(102)終

 この日の夜はヘブライ語会話講習の三回目(20:30~21:40)。もう体が疲れ切っていて頭も休止状態で、睡魔と闘い続ける。その後に反省会をしてキブツの友人たち一人一人のために祈る。

 3/18(金)5:30起床。早朝の作業はバナナ畑での木の手入れ。朝食後はパッキンケース(バナナ出荷用)作り。今日は金曜日で午後の仕事は無い。昼食後洗濯をし、夕方4時からヘレナ宅を訪ね娘さんたちに折り紙を伝授する。安息日の夕食はいつもより豪華である。

 しかし牛肉の煮物はいただけない。ユダヤ教式の血抜き肉のためスカスカで塩っぱい。じゃがいもの丸ごとのフライは美味しかった。ツアーの人々は今日でこのキブツでの労働が終了する。明日からはエルサレムで二泊し、観光してからロンドンに向けて発つ予定である。

 それで夕食後は私以外の三人はキブツの友人にお別れの挨拶回りに行った。私は洗濯物の片付け。夜の反省会で、最近キブツ周辺でジャッカルが出没し、近くの帰人が噛みつかれたり、飼い猫がいなくなったりして警察官がキブツに情報を集めに来ているが、未だ解決していないという。