ツアーの人々との団体生活(12)

 キブツ・マアニットは、地中海沿岸の中都市ハデラの真東10kmにある。ハデラの北40kmにはイスラエル北部最大の都市ハイファ(カルメル山)、南45kmにテルアヴィブ・ヤッフォ、アマニットはシャロン平野のほぼ中央に位置している。

 ハデラの北2kmにはローマ時代最大の港湾都市カイザリヤの遺蹟がある。マアニットはそのカイザリヤのすぐ近くに位置しており、キブツの一部は小さなテル(遺跡の丘)の上にありローマ時代の遺物が数多く出土しているのである。

 更にこのキブツには聖書に出てくる多くの植物が植えられていて、キブツ全体が聖書自然博物館の如しである。ヨハナンが先ず私たちを導いたのは幹が真紅の植物の前である。高さ3mほどの小木だが、この木の幹はキリストの血を想起させるもので、イスラエルのキリスト信徒たちに珍重されているという。

 この植物は聖書には録されておらず、私はこの木の名前を覚えていない。他のメンバーはメモを取り、カメラのシャツターを切っていたが、私はカメラを持ってきていなかったので、この木に関する記録は残念ながら残っていない。

ツアーの人々との団体生活(11)

 今日はバナナ畑の責任者ヨハナンが私たち日本人ヴォランティアのためにキブツ内を案内してくれることになっていた。それで、仕事を終えるとすぐ中央食堂に集合した。彼はイスラエル生まれのユダヤ人で当時50才代の男性である。

 イスラエルではイスラエル生まれのユダヤ人のことをツァバル(サボテンの実)と呼ぶ。外見は厳めしいが内側は甘くて美味しい(優しい)のだという。ヨハナンは典型的なツァバル(通常日本ではサブレと呼ばれる)で頭髪は真っ黒で縮れ、眉は太く、髭は濃い。瞳は黒く、腕や脛は毛が濃く、皮膚は浅黒い。イラクの遺蹟から発掘されたアッシリア王のレリーフによく似た風貌である。

 ヴォランティア世話係のアロン、カナダから来たユダヤ人ヴォランティア、ヒレルもよく似た風貌で、旧約聖書時代からのユダヤ人の血をそのまま受け継いでいるのではないかと思わされる。

 ヨハナンは自分はイエスをメシヤと信じていると言う。しかし、S師は「ヨハナンは、ドイツ人が創設した異端を信奉している」と語っておられた。そのヨハナンが大きくて厚い英語聖書を開いてキブツの中を案内し、S師が通訳をして下さった。

左:アロン 右:ヨハナン

ツアーの人々との団体生活(10)

 翌日(3月2日)もバナナ畑での仕事であった。この日は収穫ではなく畑の手入れ、下草取りである。バナナの木の周囲の雑草を摘み取るだけの仕事なので単純そのものである。時々根を深く張った草があり、力を要することもあるが大半は簡単に手で除草できる。

 しかしである!それがとてつもなく想像を絶する重労働なのだ。それも日本人だけが・・・。

 他のヴォランティアは、ごく普通にのんびりと除草をしているのだが、S師と他の若い女性たちは目にも止まらぬ速さで仕事をしてゆかれるのである。私もその速度でついてゆこうとするのだが(バナナの木を一周して、そこの除草が済むと隣の木に進むのだが)5分もしないうちに汗が吹き出し、目まいがしはじめた。朝食前の2時間、昼食までの4時間、その後1時間の計7時間、これを続けるのだ。

ツアーの人々との団体生活(9)

 この日の労働も午後2時で終わったが終了間際には背骨と腰の負担が限界に達し、痛くて動かせないほどになった。しかし宿舎に戻る頃にはかなり回復した。

 私たち日本人ヴォランティアグループは労働後の時間の全てはリーダーのS師の指示に従って行動した。汚れた衣服などの洗濯(手洗い)、部屋の清掃、休息(大抵は昼寝)などなど。

 外国人の他のヴォランティアたちは全員若者たちで、自由時間の過ごし方もまちまちである。英国、オランダ、南アフリカカナダ、アルゼンチン、ノルウェー、フランスなどから来ていたが、その多くはグループでの参加である。中には外国からのユダヤ人もいた。

 宿舎の外にベンチを持ち出して、ラジオで音楽を聴きながら日光浴をしたり、バスケットボールやバレーボールのコートもあるので、そこで球技をしたり、飲酒をしたり、町に出かけたり、深夜まで楽しんでいる。

 彼らに比べ日本人のクリスチャングループはリーダーが設定したその日その日の計画の枠組に従い生活するのである。それがキブツの住民や外国人ヴォランティアの目には、あまりにも奇異に映っていたということをずっと後になってから知った。

ツアーの人々との団体生活(8)

 温水槽に浮かべられたバナナの房は選別され、一房4〜5本になるように小型ナイフでカットされる。そして隣の防カビ剤入りの水槽に入れる。私のこの日の作業はこの単純な作業であった。水槽の高さが私の身長では少し低かったので、少し前かがみ気味で作業をしなければならず、朝食前の立ち続け2時間の仕事は腰に負担がかかり、案外ときつい仕事であった。

 選外品となるものは傷付いたもの、太くなり過ぎて変形したもの、黄色くなったものなどである。これらは捨てられるのではなく、キブツ住民の食用にされる。防カビ(殺菌)処理の水槽に入れられた房はすぐに引き上げられ一房ごとに「JAFFA BANANA ISRAEL」と書かれた小さな楕円形のシールを貼られ、大きな計量器の上に乗せられたダンボール箱の中にきれいに並べて入れられる。

 決められた重量になると蓋を被せ粘着テープで固定し、コンテナの奥に積み上げてゆく。この繰り返しである。

 最近日本に輸入されるようになったイスラエル産のスウィーティーにも、一個ずつに「JAFFA Sweetie ISRAEL」と書かれた小さなシールが貼られており、このシール貼りをこの日、S師がされた。このオーガニックバナナは割高だが、ヨーロッパに輸出されて人気商品だとヨハナンは何度も言った。

ツアーの人々との団体生活(7)

 朝6時前に私たちを車で迎えに来たヨハナンは、それ以前に大量の温水を準備してバナナ畑の中まで運んで来ていたのだ。いったいこの準備に何時間要したのであろうか。とにかく、彼は大変な働き者、性格は真面目で控え目口数は少なく、自分はこんなに働いているのだとか、こんなにしてあげているなどは態度にも一切出すことはない。

 それでいてヴォランティアと一緒に働きながら、全てに目配りをしているのである。バナナの収穫作業は次のように進められた。先ず、体格の良い女性ヴォランティアが薙刀のような柄の長い鎌でバナナの木から実った房を丸ごと切り落とす。その下で頑丈な体格の若いヴオランティア男性が待ち構えていて、肩の上に受け止める。

 彼の肩には、座布団のようなマットが着せられていて衝撃を緩め、バナナや肩を痛めないようにしてある。彼は数十キロもあるその房を担いで足元の悪い畑地をバナナの木の間を縫ってトレーラーの荷台まで運んで来る。

 トレーラーの荷台に居る男性がその房を取り上げ、天井についているホックに引っ掛けて宙品りにする。そして鉈(なた)のようなナイフでその大きな房から一列ずつバナナの房を切り取って温水の中に入れる。

ツアーの人々との団体生活(6)

 バナナ畑の真中で車は停車した。左右が広大なバナナ畑で、その中央に真っ直な畦道が畑を貫いている。畦道と言っても道幅が3m以上あり、収穫作業用の大型トレーラーが通れるようにしてある。道の両側にはバナナの木がぎっしり植えられており、どれもが青青とした葉を繁らせている。

 前方を見ても後方を見ても、遥か彼方まで畑は続いている。それぞれの木には水色のビニールカバーがぶら下がっている。バナナの房をこのビニールで覆い、鳥や虫から受ける夜害を防ぐためである。

 バナナ畑はこの他にも何面かあるが、そこは弱ったバナナの木の林である。昨年の異常寒波と嵐のために受けた被害が広大であったため、一部の畑だけ手入れをして回復させ、あとはそのまま放置してあるのだ。

 さて、私たちが下車をしたそばに大きなトレーラーが置かれていて、その荷台の後方が開けられていた。今日の仕事はバナナの収穫、箱詰め(出荷のため)作業である。私たち日本人は全員トレーラーの中に入った。トレーラ一の奥には出荷用ダンボール箱がぎっしり積まれている。中央には机と計量器、そしてトレーラーの入口近くには水槽が二つ置かれてあった。水槽の水は温めてあった。

ヨハナンとバナナ畑

ツアーの人々との団体生活(5)

 「シェマア イスラエル アドナイ エロへヌ アドナイ エハッド・・・(聞けイスラエルよ 私達の神、主は 唯一の主・・・)」申命記第6章からの朗読だ。

 イスラエルではラジオ放送のはじまりと共に毎朝「あなたの神である主を心、魂、力のすべてで愛しなさい」(同6:5) と放送しているのだ。この放送はバナナ畑の作業の日は、毎朝聞くことが出来た。バナナ畑の責任者ヨハナン(ヨハネ)は信仰心を持っているので、彼自身がこの放送を聞き、私たちにも聞かせようとラジオのスイッチを入れてくれるのであろう。

 日本では、NHKのラジオやテレビのその日の放送終了時に「君が代」の演奏を放送していたが、同様にイスラエルでも毎夜12時、ラジオ放送を終える時に国歌「ハ・ティクバ」(希望)を放送している。

 キブツの住民が後に私に小さなラジオを貸してくれたので、それを聞いてから寝るのが楽しみの一つになった。その管弦楽による演奏が飛び切り素晴らしく、聞くごとに心打たれるのであった。ともかく早朝に厳かな聖書の朗読を聞きながら労働に赴くのは何と素晴らしい一日の始まりであろうか。

 それとは別にバナナ畑への道は舗装されておらず、ひどく揺れたり、眺ね上がったりするのには大いに開口させられた。

ツアーの人々との団体生活(4)

 キブツの住民の労働時間は通常午前6時から午後4時までで、ヴォランティアよりも2時間長い。キブツ・マアニットにはウルパン (ヘブル語会話教室)がないが、ウルパンがあるキブツでは、ヘブル語会話を学ぶヴォランティアは労働は午前中で終わる。かっては多くのキブツにウルパンがあったがこの頃は、非常に少なくなり、ヘブライ大学の夏季講座を受講しなければ学ぶことが難しいということであった。

 労働を終えるとヴォランティアは自由である。初日の労働を終え、宿舎に戻るとシャワーを浴び、夕食まで休息(昼寝)をとった。夕方6時になって5人で食堂に行き夕食をとるが、パンと生野菜(朝食の残り物)と飲み物(コーヒー、ココア、紅茶)だけだが、ツアーリーダーのS師が畑からアボカドをいくつか持って来られ、それをバター代わりに食した。しょう油をかけて食べるとマグロのとろの味がするというので、期待して食べてみた。しかし楠の木の青臭い香りがして私の好む味覚ではなかった。今宵も7時から反省会をしてから床に就いた。

 2日目(3月1日)はバナナ畑での仕事だった。やはり午前6時にキブツ内の道路脇で車を待ち、ツアーの5人と外国の青年たち5人ほどが車の後部に乗り込んだ。運転手がラジオのスイッチを入れると6時の時報に続いてヘブライ語で聖書の朗読がはじまった。

ツアーの人々との団体生活(3)

 午前8時になると一旦作業を止め、キブツの中央食堂に戻って朝食を摂る。完全なセルフサービスで食事の時間は30分。食堂に戻ってから畑へ行く車に乗るまでの時間が30分。洗面やトイレの時間も含めてなので、ゆったりと朝食を食べるというような雰囲気ではない。とにかく腹に食物をいれておかないと昼までの仕事が大変になる、そんな感じである。

 パンとチーズ、ヨーグルトなどが好きな人には最高のメニューであるが、ご飯党の人には少々きつい。食堂に8時10分に着くと出発は8時40分。それから正午までが午前中の作業である。10時頃に小休止があり果物や飲み物を飲食する。

 この頃は10時頃まで、レインコート、ゴム長靴を着用した。10時を過ぎると枝葉や草も乾くからである。雨が激しく降っても作業は続けられる。正午になると再び中央食堂に戻って昼食をいただく。昼食がその日の最高のメニューなのだが時間は朝食と同じ30分だけである。そしてヴォランティアは午後2時まで働いてその日の労働は終わる。

ツアーの人々との団体生活(2)

 アボカドの収機作業は単純平易で、両手にポリバケツを持ち、手の届く高さ迄の枝から摘み取った果実をそのバケツに入れ、山盛り一杯になると小型トラクターのリヤカーの箱に入れる。その繰り返しである。私にとっては、大変楽な作業で、毎日この程度の作業ならばありがたいと思った。湿気の多い朝の空気は爽やかで、楽しい気分で作業を続けることが出来た。

 アボカド畑のキブツ住民担当者は2人の男性で、あまり仕事熱心には見えなかった。休憩時間がひどく長かったり(その分、ヴォランティアの仕事の終了時間は大幅に遅れる)、 休憩時間中にビールを飲んだりして、ヴォランティアだけを働かせて、自分たちは見ているだけという人物であった。

 今は日本でもほとんどの食料品店にアボカドが並べられているが、私はこの時まで食べることはおろか見たこともなく、その名も初耳であった。一本の木に二種類の実が成り、一方は私たちが店頭で見る表面がブツブツしているもの、他方は表面がつるつるで緑のまだら模様のものである。

 皮がブツブツのものだけ収穫し、つるつるのものは地面に捨てなさいと言われた。商品として売れるのはブツブツのものだけで、つるつるのものはキブツの住民の食用にされていた。

ツアーの人々との団体生活(1)

 いよいよキブツでの労働ヴォランティア生活が始まった。2月28日(月)であった。キブツの朝は早い。5時半には起床しなければならない。夙川教会のSさんから頂いた小さな目覚まし時計が大きな力となってくれた。この時計は6ヶ月の滞在期間中、フルに働いて私の目覚めを助けてくれたのである。

 6時前には食堂近くにある駐車場に集合する。マタイ福音書20章のぶどう畑の主人の物語そのままの世界だと思った。2月末の午前6時前は日の出のよほど前で周囲はまだ薄暗い。私たちは古いワゴン車に乗せられて畑に向かう。

 今日は私たち5人全員アボカド畑で作業するのである。薄暗く、しかも朝もやのかかったシャロン平野を南に向かっている。このもやは昼になっても晴れることはなく、一日中たちこめていることが多かった。もやに包まれた景色は薄緑色の世界で、とても幻想的である。約5分ほどで畑に着いた。

 今朝は雨は降っていなかったがレインコートとブーツを着用した。露などで枝葉が濡れていて、全身がずぶ濡れになってしまうからである。この日は果実の収穫作業であった。